4.
母親が可哀想なのは藤沢くんばかりじゃない。私だって同じだった。母は極度に私を心配していた。またあの子に会うの? 大丈夫? 変な影響受けてない?
「影響って。」
私は思わず笑ってしまう。影響されるほど藤沢くんの言うこと、何もわかってないよ、大丈夫。それならいいけど、と母親は引き下がる。たぶん、あまり強く出ると私がまた過呼吸か何かを起こすのではないかと思っている。私は自分が藤沢くんのことをうまく説明できないだろうなと思う。少しずつ、私も理解されないということがどういうことかを理解していく。母親もまた、私がパラレルワールドに行ってしまったと思う日が来るかもしれない。正しく言葉を選び尽くしても、見えてこない かたち というものはある。伝わらないとはそういうことだと私は知る。繋がれない、ということを。
何を見てもさ、これから何を知っても、何を体験しても俺はきっとなんとも思わないと思うんだ。俺、別に自分に欠陥があるとは思ってないんだよ、病気でもないと思う、なんていうか、俺ってただそういう人なだけなんだよ。
藤沢くんのカウンセリングはひと段落ついた。心の傷は一応のところ癒えた、と判断されたのだ。俺にはさっぱりわかんないけど、健全な人っぽく見せるコツは覚えたよ、だからだろうなあ。でもさ、やっぱり俺は健全だよ。藤沢くんはそう言った。それは私にも身に覚えのある体験話だったので、私たちは顔を見合わせて笑った。もう12月に入っていて、川原に座り込むには寒すぎたので、私たちは川沿いをうろうろと歩き回りながら話すようになっていた。頭の包帯は取れていたが、手術のために坊主頭にされた髪が少し伸びたその奥から、大きな傷口が近くで見ると、かなりくっきりと見えた。
「学校にもさ、行っていいんだって。」
「え、嘘。いつから?」
「明日。」
「よかったね!」
「別に…」
藤沢くんはため息をつく。
「相原さんさ、みんなに言っといてよ、俺別に心に傷を負った人じゃないから、学校行ってもさ、こう危険物みたいに見るのやめてほしいって。前みたいにほっといてほしいって。」
「えー、自分で言ってよ。あと、私はほっとかないからね。」
「あーなんかなあ…」
藤沢くんは今まで見てきた中で、一番憂鬱そうな顔をしていた。
「大丈夫大丈夫。なんか違和感あっても最初だけだって。」
私は笑って彼の腕を軽く叩きながらそう言った。そして、無意識でその腕をぎゅっと掴んだ。
「相原さん?」
肩越しに私を見下ろして藤沢くんは首をかしげた。私は彼の腕を力いっぱい掴んで白くなっている自分の手を見つめた。意識は後からちゃんとついてきて、私は自分の行動の意味をわかっていた。言葉を整理しようと深く息を吸う。これだけは伝わってくれないかと思いながら。息を吐く。
「あのね。」
「うん。」
藤沢くんは足を止める。きちんと大事なことを聞く気でいてくれている。彼の中が一体どんなふうになって、どこにどれくらいの螺子がはまって彼という人間になっているのか、私は知らない。
「やっぱりね、私は藤沢くんが死ぬの、いやだよ。」
「うん。」
「藤沢くんがね、これから先、あ、死のうと思っても、やっぱり死なないでほしいの、どうしても。藤沢くんにとっては私がどう思うかは別にどうでもいいことかもしれないけど、私はどうしてもいやなの。いやだよ。」
「うん。」
藤沢くんは顔色を変えずに頷いた。私は知らないから、彼の構造を。知らないまま新しい螺子を取り付けようとするのは、無謀だと思う。でも言う。
「お願いだから約束してくれない?これからは絶対死のうとしないって。」
藤沢くんはしばらく黙った。躊躇っているようだった。まるでできない約束はしないほうが良いと思っているようだった。けれど結局は頷いた。私のために。
「わかった。約束する。」
「守ってね。」
「うん。」
私は腕を離した。見上げると、藤沢くんは私を安心させるように笑った。私は泣きそうになる。明日も生きていてほしいと思う。こんな簡単なことが伝わらないなんて。約束でしか、縛っておけないなんて。こんな約束もきっと彼の中の螺子になることができないなんて。寒いなあ、帰ろうかあ、と藤沢くんが言う。うん、また明日ね、と私は言う。また明日ね。